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トミー富田について

​NYハーレムで一番有名な日本人 ハーレムの開拓者Tommy Tomita

東京浅草生まれ。父親の影響でジャズに傾倒、FENを聴き育つ。

大学卒業後、リュージュの選手として札幌オリンピックに出場。

その後、東京六本木のジャズクラブ「バランタイン」など3軒を経営し、阿川泰子・マリーン・島田歌穂・マルタ等、多くのスターが誕生。海外の有名ジャズアーティストがお忍びで立ち寄る店、日本の芸能人が集まる店として有名だった(タモリ、夏目雅子、浅野ゆう子、鹿賀丈史、山城新伍、伊集院静ほか多数、敬称略)

80年代初め、ニューヨークへ渡り、日本の各種メディアへ最新音楽情報を紹介。日本人として初めての「ハーレムツアー」を始め、当時、ハーレムの情報が全く無かったニューヨークのガイド本「地球の歩き方」等に、初めてハーレムの地図や情報を書き入れる。

黒人音楽の殿堂「アポロ劇場」のボードメンバーとして、アマチュアナイトにプロ・アマ問わず沢山の日本人を出演させ(平井堅、トータス松本、ディープタフ(ダンサー)、小林幸恵、嘉門達夫etc. 敬称略)、長年に渡り毎週多くの日本人にアマチュアナイトを紹介し続けた功績で、2005年アポロシアターより表彰される。

NYのミュージシャン・ダンサー・アーティスト達を毎月日本へブッキング(横浜オフィサーズクラブ、マグリットほか多数)、横浜ランドマーク「ハーレムナイツ」5日間コンサートや、アポロ劇場にて「ジャパン・ジャズオールスターズ」コンサートなどをプロデュース、ほか多くのコンサートも手がける。

ハーレム商工会議所の正式メンバーで、老人ホームや刑務所、病院へのボランティアなどコミュニティ活動が広く認められ、Harlem 125th. Innkeepers Association Award を、94年にはアジア人初の「Dr.マーティン・ルーサー・キングJr.エクセレントアワート゛」を、2014年、黒人コミュニティより「マン・オブ・ヴィジョン」受賞。

日本のテレビ、雑誌等のNY特集コーディネイトなども数多く手掛け、自らも出演する。

1997年、ハーレムの黒人教会と創設したNY初の日本人ゴスペル「ハーレム・ジャパニーズ・ゴスペル・クワイヤー」が、2010年全米最大級のゴスペル大会に日本人として初出場、27年の大会史上初の日本人クワイヤー優勝の歴史を作る。

 

著書に「ハーレムスピークス(新宿書房)」「劇場都市NY読本(七賢出版)」があり、ジャズやハーレム関連の記事やコラムも多数執筆。NY最大の日本人コミュニティ「日本クラブ」メンバー。

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Tommy Tomita Story

日本のツーリストから「なぜハーレムに暮らすのか?」と実によく尋ねられます。ハーレムには何よりもまず、本物のジャズ・ゴスペルがあり、黒人音楽史が今も生き続けています。約200軒ある教会では、エキサイティングなゴスペルが、観光地化されていないジャズクラブでは、無名だけれども素晴らしいミュージシャン達が日夜演奏しています。88年もの間スターを誕生させているアポロ劇場は、今もなおハーレムの伝説を作り出しています。ジャズをライフワークにする私にとって、とても気さくで優しいハーレマイトと暮らすハーレムの生活は、私の生まれ育った東京浅草の下町と通じるものがあります。3回拳銃で撃たれ、数え切れないほどのホールドアップに遭ったにもかかわらず、私はハーレムを愛していたので、ここから引っ越すことを考えたことはありませんでした。

現在私は、NYランドマーク指定の高級住宅地と言われるエリアに住んでいます。ハーレムルネッサンスの頃は黒人のステイタスで、成功した人達が住むタウンハウスでした。家の前のブラウンストーンはスパイク・リーの映画「ジャングルフィーバー」の舞台になったところ。以前のマンハッタン区長ヴァージニア・フィールズさんは隣のブロックに住んでおり、ドクターやロイヤー・文化人が今も多く住んでいます。
私を取り巻くハーレムの人々は、35 年間で知り合えた私の宝物です(2020年1月11日)

 

~浅草系ハーレム人  Tommy Tomita~


※「浅草系ハーレム人」という呼び名は、「ハーレムの熱い日々」や「アメリカ」とう衝撃的で偉大な作品を日本人に紹介してくださったフォトジャーナリストの吉田ルイ子さんより名付けていただいた、お気に入りの名前です
 

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